つきあいができないのに会って直接話したい~矛盾を無くしてしまうため、ブログをアップする

話しのネタ・Tips

はじめに告白する。私は人付き合いが嫌いだ。
嫌いなのだときちんと気がついたのはわりと最近だ。それまでは、苦手なんだとか、うまくないからがんばらないといけないとか、本気で思っていた。しかし、はっきりと自覚した。

嫌いなのだ、積極的に。
それについて回る、LINEやメールでまめに連絡したり、会って食事をしたり、飲み会をやったり参加したり、だれもがあたりまえにやっている人間関係を保っておくような行動が、どうにも苦手で苦痛でめんどうで……いや、嫌いなのだ。

ネットの技術を使いこなせば、わざわざ会わなくても済むようになると、いろいろなところで言われている。実際にそういう面がある。普通電話ときどきFAX、という時代から、普通メール、まずはメッセンジャー、とりあえずチャットと流れ流れて変化していく時代の中で仕事をしてきた。TV会議だってずいぶん前からあたりまえに使う現場にいた。

ネットの技術を使うという意味では、少なくとも日本国内では先端のほうに近い現場にいたという自信はある。最先端ではなかったかもしれないが、いつもいろいろな手をつかって最先端をのぞきこみながら、一歩二歩遅れたところを走っていた。しかしそれは業界の中での話しで、日本全体から見たらインターネット・テクノロジーの先端にかなり近かったはずだ。

だから、「パソコン通信」の時代から電子メールを使っていたし、途中から変なビジネス・マナー(メール版)が登場してもそれに合わせて仕事をした。スカイプが出たらすぐに登録してそのスゴさを実感した。社内連絡がすべてメッセンジャーソフトで行われる変わったカルチャーを持つ企業にもスムーズに対応した。「IT技術者」という言葉ができる前からIT技術者だった。

それでも結局、会って話すことの価値の高さは、まったく変わらなかった。特に東京にいると、いくら超高性能なテレビ会議システムがあっても、電車で訪ねていって打ち合わせするのが普通だ。キャリアの半分は名古屋にいたが、毎週新幹線で東京に通うのは普通の仕事のしかただった。

この、直接会うことの価値は、洋の東西を問わないらしい。
DropboxやAirbnb、Herokuなどの企業を世に送り出したことで有名な「Yコンビネータ」という企業の「ポール・グラハム」氏は次のように言っている、

「契約に結び付くような直接の対面がどういう意味を持つかを正確に説明することは難しい。しかし、たとえ何であれテクノロジーはいまだにそれを再現できていない。」

http://www.paulgraham.com/startuphubs.htmlからの引用。 訳文は書籍「Yコンビーネーター」より引用(※)

会うと言葉以上のものが伝わると、はっきり断言している。これは意識するとしないとにかかわらず、だれもが感じているらしい。

実は、この直接会わない不足感を体験するのはそれほど難しくない。TV会議をやればすぐわかる。コツが必要なのだ、TV会議は。会って話すのとは違うやりかたを求められる。

 

だから、直接会って、対面で、話したい。
言葉になる情報も、言葉にならない情報もすべてを、文字通り全身全霊をこめた知識を伝えたい。

でも、人付き合いは嫌いだ。人間関係をつくって人脈をつくりながら、自分の話しを聞きたいヒトをみつけることは、私には不可能だ。

だが、私は話したい。話して伝わらないものを伝えたい。

矛盾にはさまれてたどりついた結論は、「先に知識のすべてを出してしまえばよいのだ」ということだった。書いて伝えてそれを灯台の光として、その光に反応し、話しを聞きたいと思う人が出現する。現れるはずだ。話してほしいと頼まれるはずだと考えた。

書いたものでわかって納得して終わる人もいるだろうが、話してほしいと思う人は多いはずだ。自信はある。それは、書いたものを読んだだけではわからないだろう、という、書いたもののクォリティの低さの裏返しでもあるかもしれない。作家として生きていけるほどの、実力と情熱はないのかもしれない。でも、伝えてほしいと思われるほどの内容には自信がある。

その前提として、内容がまとまる必要があった。それは、1年間、1回90分を30回、講義させていただいたことでまとまった。その内容は、20年のキャリアの中でだんだんに作られて、すでに長い間自分の中にあったものだった。あったものだったし、毎日それを使って仕事をしていたのだが、形に表すことは難しかった。幅が広すぎてどこから手を付けていいかわからなかったし、量もたくさんあってどれを拾いどれを捨てたらよいのかも、見当がつかなかった。

その見当がついた理由は、聞き手の出現だった。
このヒトたちに話しをするには、何をどうまとめたらよいのか、と考えると、どこから手を付けていいかわからないという問題は即座に解消し、取捨をするための判断基準が生まれた。だから、合計45時間もの長い間、私の話しを聞いてくれた延べ100人を超える学生たちには、何度感謝を重ねても足りないぐらい感謝している。

だから、話す内容を形に表すことはできた。
そして、新たな聞き手の出現を待つ。
新たな聞き手が現れれば、また新しい内容ができる。

いままでにつかむことができた私の全貌と見比べれば、このブログに表現されたのは、私を包むオブラートの部分に過ぎないからだ。そのことが、形に表してみてよくわかった。話す内容を自分から引きはがして第三者的に見たときに、本来の自己と冷静に見比べることができたのだ。

こうして私の話しの内容が、だれかの役に立つ限り、私は嫌いなことをしなくて済む。


(※)文中に引用した書籍はこちら:

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