人生と仕事とWebディレクション

ストーリー

いまからちょうど20年前、電力会社系列の安定した会社を辞めて、私は再び学生になっていた。2年はもつと思った貯金を1年生のうちに使い果たしてしまい、働く必要性に迫られた頃、Windows95が発売されて以降爆発的に伸び始めたインターネットで、何か儲けてやろう、という人たちが日本中で猛烈に増えはじめた。

私がコンピュータを専門にしているとわかると、
「ネットでさぁ、**して〇〇すると△△できる、みたいなことしたいんだけど、どうやったらいいかわかる?」
という相談が、いろいろなところからどんどん舞い込み始めた。

「うーんと・・・それは、✕✕して〇〇して、**するとできますね。」
「え、スゴイね、いくらかかるの?」
何の実績もないのに見積もりをたのまれるのだった。

私は、大学でプログラム、ソフトウェアを専門とする教育を受けていたが、プログラマとしてやっていこうとは、このときすでに思っていなかった。あまりにも優秀な同級生たちをみて、ある意味で挫折していたからだ。こいつらには勝てない、と。しかし、優秀なプログラマと友だちになることはできた。

この当時通っていた学校では、いわゆる芸術系、つまり、美術や音楽を専門とする人たちと友だちになれた。20年後の今もデザイナとして生き残っている人たちと、そのとき知り合った。

だから、「じゃぁ、優秀なプログラマの友だちと、かっこいいデザインができる友だちとでいっしょにつくったら、超スゴイWebサイトが作れるんじゃない?」という当然の発想をすることができた。いまではすっかり定着したこの仕事のしかたも、当時やれているヒトはそれほど多くなかった。このポジションを「Webディレクタ」と呼ぶことも、当時は知らなかった。

そんな感じでフリーランスになってから何年かたったあと、この仕事を鮮やかに体系化してまとめている本と出会った。それが、「企画力の教科書」である。

いまではすっかり絶版になってしまっているようで、アフィリエイトリンクをつけても何の意味もない(笑)。しかもAmazonでは著者の名前が間違っている。(正確には、榊原 廣)

著者が博報堂関連会社に所属しており、大手広告代理店がそれなりの大きさの企業にホームページ企画を提案する、というシーンが中心におかれている。しかし、語られていることは普遍的で、規模が小さくても十分使えるものだった。この知識でかるく10年以上は食べた気がする。感謝せずにはいられない。いまパラパラとめくっても、内容は特に風化していない。そのまんま使える内容のオンパレードだ。

とはいえ、いまはWebディレクションの書籍が豊富に出版されており、Amazonで「Webディレクション」と検索すれば、カンタンに10冊以上ひろえる。書かれていることはよく似ており、広くて浅い。それぞれのトピックを深掘りしてからまた帰ってくる、という作業を地道に繰り返さないかぎり、「わかってない感」とずっといっしょに仕事することになるだろう。だから、Webディレクタはたいてい、元デザイナーか、元プログラマであることが多い。後者は少数派で、だから私は本当に得をしたというか、楽をした。

広告代理店から仕事をうけて、ちらしやパンフレットなどの紙媒体をつくっていたいわゆる制作会社が、大量にWeb制作会社に切り替わっていた。だから、グラフィックデザインはできたが、システム、エンジニアリング、プログラムの知識が足りなくてこまっている現場が大量発生した。だが、紙のデザインをしていた会社が、コテコテのシステム開発会社にたのんで話しを聞いても、ほしい答えがうまく得られなかったし、協業もなかなかうまくいかないのが現実だった。

だから私は、ごく自然に制作会社の間をフラフラと歩きながら仕事をすることになった。

その後、請負型の仕事に見切りをつけて、日本一の巨大ネット企業にもぐりこんだあとも、本質的にまったく同じ仕事をした。つまり、デザイナとプログラマとチームを組んで、1つの成果物、Webサイトやその機能を世の中に出すのだ。

その企業の不思議なカルチャーや慣習を学ぶのはそれほど苦ではなかったし、プロジェクトの人数が2人から200人に増えても、自分で言うのもおかしいが、うまく仕事をして成果を出すことができた。

ただ、課長より上への出世は望めないことを悟って、経営を経験したかった私は、その居心地のよいすばらしい会社を出た。

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